今日は私の「脱・うつ物語」で触れていた「薬の副作用」についての話です。
薬の副作用半端じゃなかったです。
恐るべしです。
それでは私が体験した「3つの薬の副作用」について話していきますね。
私は急性のうつから始まって薬は30粒以上処方されました。
ある程度気持ちが落ち着き始めたら、副作用が現れました。
喋れると「レロレロ調」とか、
話すと口から空気が全部抜けていくといいますか
本当に辛かったです。
今振り返ってみると、唇を動かすのも大変と言った感じでした。
あのねが「あろれーー」と空気が抜けていく感じでした。
心で思ったことをいざ言葉にすると、話せないんですよ。
それがしばらく続くと、本当に家に引きこもっちゃいます。
誰とも話したくないんですよね。
恥ずかしいからです。
いい大人が満足に話すこともできない。
幼稚園児以下です。
久しぶりに友人から携帯がかかってきた時も、
必死に普通に話そうとする自分がいました。
ゆっくりゆっくり言葉をしっかり発することができるように
意識してました。
楽しい電話のはずが、心が穏やかじゃありません。
最後は友達に私の今の現状を話して電話を切りました。
せっかく心配してくれた友達にすっごく申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
それからと言うもの私はスマホを家族に預かり、
見ることもしませんでした。
最悪だったのは、当時休職していましたので
突然来客が来た時です。
うまく喋れない私は人に会うのが恥ずかしかったので、
居留守を何度も使いました。
ピンポーンとチャイムが鳴っても
居間から逃げるように他の部屋に移動していました。
家族とは少しは話していましたが、
友達、同僚とは完全に距離をおくようになりました。
その後、心療内科の先生に相談したら薬が変わりました。
2つ目の副作用は、手の震えです。
鉛筆を持つことができないんですよ。
手に力が入らない。
仮に持ったとしても指が震えて字を書くことができません。
書いた線を見てみると、赤ちゃんが初めて鉛筆を持って線を書くような感じでした。
夜テレビを見ながら、大丈夫かな?と思って
鉛筆を持とうとするのですがやっぱりダメです。
水を飲もうと思ってコップを持つと
コップが揺れて水がこぼれそうでした。
ご飯は箸をうまく持つことができないので、とうとうスプーンです。
悲しかったですね。
どうして?なぜ?っていつも心の中で叫んでました。
提出する書類は完全に自分では書けない状態だったので
父親に書いてもらっていました。
このことも先生に相談したら薬が変わりました。
しばらくして治りました。
3つ目は「健忘症?」です。
実はこれずーーっと7年くらい知りませんでした。
「脱・うつ物語」でも書いたのですが、
階段から落っこちたことも分からなかったんですよ。
朝になって、青タンを見つけて痛いと感じ、
親から聞いて階段から落っこちたと言うことを聞いて
初めて知ったんですよ。
でも薬が影響してることを知らず、7年も薬を飲み続けたのです。
先生も薬を出しっぱなしです。
時々、夜の記憶が飛んでるな、、、とは思いつつも、
年なのかな?なんてくらいの気持ちでいたのですが。
でもそれは薬の影響だったことがわかりました。
元気になり先生に話しても
薬の量はなかなか減りませんでした。
私もおかしいなと薄々気づきながらも、
薬を飲んでました。
両親を始め周囲の人達からも「薬飲みすぎじゃない?」と
何度も言われました。
でも、止めたらまたうつ病に?って考えると
やめられませんでした。
先生には何度話しても変わりませんでした。
薬代だけで1万は軽く超えてました。
ある日転勤の関係でずっと通院していた病院を変えることになりました。
新しい病院に行く頃、薬はもう20錠くらいだったかな?
(飲みすぎて記憶がないです。)
先生は薬の量に驚いていました。
「薬処方しすぎ」とのことでした。
言われた時、私は驚きはしませんでしたが
「やっぱり」と確信に変わりました。
先生曰く、
「ずっと飲んできた薬は一気にやめることができないので、
少しずつ減らしていきましょう。」と言うことでした。
記憶のことも話しました。
夜中のことを覚えていないと言うことを話しました。
どういうことかと言うと、
極端な話ですが、夜中に泥棒が入ったとしても
私は気づかないような、そんな感じです。
すると先生は、
「健忘症みたいな感じだね。」
「○○の薬が原因です。」
と言うことで、量を減らし、その後はやめました。
すると昨晩、寝ながら話をしたこととか覚えているんですよ。
薬って怖いですね。
薬は怖いという話でした。
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では今日はこの辺で
ありがとうございました。
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