プロフィール



初めまして、みいといいます。

みいという名前でブログを書いてます。

 

この物語では、過去の仕事をしていた時を振り返りながら、

ちょっと考え方を変えただけで、

うつ病を改善できたことについて話をしてこうと思います。

私は現在、専業主婦です。(夫の仕事の関係で退職しました)

それまでは公務員として教育関係の仕事に携わってきました。

大変でしたが、やりがいのある仕事でした。

 

でもある日、原因不明の病気になり、記憶喪失、そしてうつ病を発症。

えっ?本当に?誰もがびっくりした私のうつ病。

誰でもうつ病になる可能性はあるんですね。

 

まさか私がうつになるとは、、、、、、、、。

 

薬なんて最初のうちだけです。

最後はマインドを変えて、

価値観変えて、

 

たくさんの人と出会い、助けられて学び

そして自分と葛藤しながら改善できました。

 

うつ病は改善できる。

時間はかかったけど、こんな私でも克服できました。

 

私は仕事を退職して、現在は専業主婦です。

今はやりたいことを見つけて、

試行錯誤しながらも

充実感のある毎日を過ごしています。

こんな感じです。

・野球観戦

大きな声で完全アウェイ感たっぷりの中、応援しています。笑

・英検2級取得

次は英語を話せるといいなあ。学ぶ意欲たっぷり。

・体力づくりのため筋トレ

汗かきながらやってます。辛いけれど、やり終えた後の充実感がハンパないです。健康第一です。

・読書や漫画

漫画から学ぶことが多いです。

・ブログでの情報発信

・冬はスキー

・人に会ったりして刺激を受ける、、、などをして過ごしています。



今は、学んでもっと自分を成長させていきたいです。

今では毎日楽しく、目標に向かって過ごしていますが、

うつ病の時はこんな日が来るとは思ってもみませんでした。



原因不明の病気から記憶喪失、うつ病ですからね。



では、私の過去の物語を話していこうと思います。





1、猪突猛進~昔は自分で自分を追い詰めていた

社会人1年目、転属先は小さな田舎の職場からスタート。

何もかもわからないことだらけ。





同期の男性は、何となくボーーっとしていて、

提出物もいつも遅かったり、

たまに遅刻したり、

何もかもが遅い。



いつも上司に怒られていたのを目の当たりにする。

怒られてもなぜか改善が見られない。

それを見て、私はこうなってはいけない。

人手が足りなかったから、早く仕事を覚えて戦力にならなくては、

と強く思うようになりました。



そう思っていた頃、

すごく仕事ができる尊敬する先輩がいました。

その先輩は、普段は口数は多くはないが、

先を見通して仕事を進める。



自分の意見をしっかりもっていて、説得力がすごい。

仕事は忙しいにも関わらず(私の教育係みたいな存在で、)

社会人としての心得みたいなことを自分の背中を見せることで

私に教えてくれた。



私はその先輩のようになりたいって強く思いました。



でも振り返ってみると、

自分でハードルを高くしてしまったのです。

低いハードルを設定して、

ちょっとずつ前に進んでいけば良かったのですが。





ちょっと考えを変えるだけで楽になったのに、、、







当時の私そんな考えはできなかったのです。

今振り返ると、偏差値30しかないのに東大を目指すようなもんです。苦笑





私にはスモールステップという考えがなかった。



少しずつやる→できるじゃん→次行くか→

このようにちょっと考えられていたら楽だったのに。





でも私はそういう考えを持つ余裕がなかったんですね。

とにかく走れ走れ走れって感じでした。

それも1から10に一気に行こうとしていたのです。

これじゃあ、無理が生じますよね。



ちょっと考えを変えてみる。

できなかったのです。

それが後々の自分を苦しめることになるとは。



だから先輩のようにできないと、

そして、思うように仕事が進まないと、



自分を責めまくりました。

なんでできないんだろう。

自己否定しまくりでした。

小さな達成感を感じることのできない状態だったのです。





これが以後の私の性格をこじらせます。

次の異動先、そのまた次の異動先でもありがたいことに

尊敬する先輩方に出会うことができます。



でも、そこでも自分の目指すハードルが高いもんだから自分を責めまくります。

いつのまにか周り全員が、

すげーーーー!と感じるようになり益々自分を苦しめます。



「私、何やってんだろう」



自己否定からとうとう何をやっても

自信のない人間になってしまいました。

「あああ、ダメだ。まだまだ。」

「学びが足りない。」

「今まで何をやってきたんだ。」

自分を否定することばかりが頭をよぎります。





成長している私を周囲は評価してくれますが、、、、。

そっか、こんな自分でも成長してるんだ!とは、

全く感じることができなくなっていました。





こういう私を人は、真面目だなと言います。

精神的に疲れていました。

でも、当時は疲れすら感じることができないほど、精神が麻痺していたのかもしれない。

24時間頭を使っているような感じでした。



一に仕事、

二に仕事、三四も仕事、

五にちょっと休憩って感じで、

仕事人間でした。





2、さらに突き進む

仕事も先を読めるようになり、

また若い人達にもアドバイスをするようになります。



世間では、あぶらが乗ってる時期というようですが。

周囲からの期待、信頼も出てきます。

仕事も順調です。

努力は裏切らなかった。



そして責任感が強くなります。

この責任感という言葉が、私の背中に重くのしかかり始めます。

自分に科す目標のハードルが益々高くなりました。



「このままじゃ、ダメダメ」

「研鑽を積まなくては、、、」と。



今振り返ると、鼻息が荒かったですね。

資料を作って発表もしまくりました。

学ぶ、学ぶ、学ぶ。

実践すればするほど、厳しくも緩くもアドバイスをたくさんもらえました。

私は人のアドバイスは素直に受ける性格でしたので、

とにかくアドバイスを受けて検証し、

さらに自分に生かしていこうとしてました。



ただ、ここでも完璧主義が発動。

全部アドバイスを受け止めて、それをやろうとするので精神的にも

苦しくなりはじめました。



1つ1つ積み上げていけば良かったんですが。

一度に積み上げようとしていたので、

当然無理も生じます。

でも、若さで何とか精神を保っていたように思います。







ベランダを開けると海が見えるところに住んでいましたので、

朝は早く起きて海を眺めるのが楽しみでした。

春から夏にかけての海はキラキラして随分癒されました。

この頃は精神的にも疲れていたのかもしれません。



それでも明るさ、元気さNO・1の私は何とか気力で

頑張っていたのです。



しかし、その気力も長くは続きませんでしたね。

ストレスが少しずつ蓄積されていったのでしょう。

間食が増えました。

夜寝るまでお菓子やチョコレートをたくさん食べる日が続きました。

私はアルコールは苦手なので、アルコール代わりがおやつだったのでしょう。





食べても食べてもお腹いっぱいにならないんですよ。

チョコレート、クッキー、ケーキ、パンなどなど。

こうなったら何でもお腹に入るという感じでした。

空腹を感じなくなるんですよ。



体重は、10キロ近く増えました。

糖分を摂りすぎるとですね、

集中力とか思考力が減退します。

簡単なことも考えることができなくる時がありました。



そんな時は自分でも焦ってしまうので、

益々事態は悪くなります。

後輩に「大丈夫ですか?」と心配されることもありました。

焦ると余計に頭の中がチンプンカンプン。



すぐに結果を出そうとするから、

余計に迷いの森へ。

1日くらい寝かせておていもいい問題なんですけどね。

今、思うと寝て起きたら解決できたってことはあったのに。



落ち着け落ち着けと言い聞かせながら、

何とか生活をしていました。





3、新しい地での出発のはずが

念願叶って私は希望の地に転勤。

嬉しかったですね。

希望に満ち溢れていました。

今まで学んだことの集大成だくらいな気持ちでした。



しかし、そこからが悲劇の始まりでした。

勤務先の私の机の上には年度始めということもあり、

書類の山でした。



どれから手をつけたらいいものやら。

頭がパニクりました。

全部を同時にこなそうと頭が働いていたのです。



でも、どうやって考えてもできるはずがないのは分かっている。

分かっているんだけど、精神的に考える余地もあの時はなかったですね。

やらなきゃならない!!

仲間に助けられながら一日があっという間に過ぎた。

来る日も来る日も仕事に追われる毎日を過ごしていました。

1日を過ごすので精一杯でしたね。



仕事にも手応えを感じながらも、

やっぱり精神的に余裕がなかったように思います。



真面目だからきちんとやろうとする。

あの時は優先順位も何もなかった。

まさに完璧主義発動しまくり。



家に帰るとふとした時でも仕事のシュミレーションをしていました。

それでも鍵を開けて家に着くとほっとした自分がいました。

「今日も一日何とか終われたーーーー」って感じでした。



でも、それも一瞬でした。

朝は5時半起床、といってもその前からなんとなく起きている感があります。

頭の中で仕事の段取りをシュミレーションしている自分がいるのです。

夢の中でも仕事をしていました。

今日はあれをやって、それから資料作って、、、と考えていた。



とにかくやることがたくさんありました。

自分のことだけならまだしも、

他との関わりがるものは余計神経を使っていました。

だらしない仕事はしたくないですしね。





また、会議の中での提案の時は、

「もし質問されたらどうしよう」と考えると、

質問されないように完璧なものを作ろうとする

自分がいました。



全力を尽くすことはできても、

完璧なものなんてないのに。

とにかく不安でしたね。



今思うと、否定されたくなかったのかなと思います。

完璧な人間なんて天才以外はいないのに。

質問されて即答できなかったら、

良い回答をできなかったら

自分が情けない。



自分がしっかりしなきゃとも勝手に思い込んでいました。



こうやって振り返っても、

他人がどうのこうのというより

自分で自分を苦しめていたわけです。





バタバタと色々ありましたが、

なんとか仕事にも慣れてきて

少しずつ自分のペースをつかめるようになってきました。





それでも週末になると疲れはどっと出ていました。

首はだるいし、背中はバキバキ。

週に1~2回くらいはマッサージに通っていました。

マッサージは1回3000円前後。

辛い時は時間も多く費やして揉んでもらうから

1回5500円。





整体、マッサージ、針治療とどんだけお金を費やしたことか、、、、。

でも、体が楽になることを考えると安いものでした。

じわりじわりと体にも影響が出てましたね。





4、ある日、突然原因不明の病気に

転勤して2ヶ月があっという間に過ぎました。

必死に仕事をしましたね。

仕事のペースもつかみ始め、異動先の生活にも慣れ始めた頃でした。





さあ、これからだ!!と勢いがついてきた時に、

首が左右に勝手に小刻みに動くのを感じ始めました。

「あれ?あれ?まっすぐ正面を向くのが辛いな。」

「首がなんか震えている?顔が斜めになってる?」

「顔が正面向けないな。」



それでも一時的なものだろうと思っていたら、

日に日に左右に大きく首が勝手に動くのです。

顔が正面を向けないのです。



振れ幅がさらに大きくなってきました。

ガクガクガクガク

恥ずかしくて人に会えないくらい動揺しました。



やっぱりどこかおかしい。





特に辛いのは寝る時でした。

仰向けに寝るんだけれど枕の上を首が左右に勝手に動く。

じゃあ、横向きにって寝るとそうすると上下に動く。

睡眠不足。もう眠れないです。イライラ感マックス。



毎晩寝ることへの恐怖。

勝手に首が動くことの恐ろしさ。

一人暮らしでしたので、夜は怖くて怖くてたまりませんでした。

泣くにも泣けません。





気がつくともう朝です。

それでも仕事に行きました。

車の運転も怖かったので、ゆっくり運転でした。





そんな日が続き、とうとう私の首は首振り人形のように

ガックンガックン左右に勝手に動き、

止めることができなくなったのです。

自分の意思とは関係なく首が動きます。



顔を正面向けて力を入れて手で押さえます。

それでも動くんですよ。

完全首振り人形。顔があっちこっち向きます。



死んだ方がどんなに楽かと常に考えていました。

「殺してくれ!!」

「うううううううう。」

声に出ていました。





寝る時はベッドの上で死ぬほど寝返りを繰り返しました。

死んだら楽になれる、、、そればかりを考えていました。

だって死んだらこんなに苦しい思いをしなくて済むんですからね。

それくらい精神も追い詰められていました。





こんな時、友達ってありがたいものです。

私の症状を聞いて、治療ができる病院を探してくれました。

その先生を頼りに病院へ行きました。



神経外科にて病名は、

「痙性斜頸」(けいせいしゃけい)と速攻診断されました。







原因不明。

精神的なものもないというわけでもないが、、、らしい。

とにかく原因不明の病気。



私は即休職となりました。

仕事が順調になりかけていただけに辛い決断でした。





治療が始まりました。

月に1回の注射。

震える首の筋に(右に)長い注射針を刺します。

その注射針を見ただけで、怖くて怖くてビビりました。

首は震えるは、注射は怖いわで大変でした。



看護師さんが動く顔をしっかり押さえて、

先生が注射をします。怖かったですね。

1回20,000円。

20,000円で治るなら、、、

当時は、その注射にかけるしか、すがるしかなかったです。



月1回の注射の治療を何ヶ月やっただろうか、、、3回位かな?

その後2ヶ月に1回、

3ヶ月に1回、

半年に1回、、、、と減っていきました。





休職してからは実家でのんびり過ごしていました。

首の震えも日に日に良くなっていきました。

1年でかなり回復しました。

あの地獄の生活が嘘のようでした。





5、首の次は記憶喪失

休職中、普段は元気なんだけれど、

なんとなく精神的に病んでるかな?と思い

心療内科にかかってみました。



今の時代は心療内科なんてみんなかかってるしと軽い気持ちで受診したのです。





あまりにもサバサバしている先生で、

「統合失調症ですね。」

私は『はあ??????」って感じでした。



まあ、痙性斜頸のこともあったし

なんか気分の浮き沈みがあるのね、、、

みたいな軽い感じで受け止めてました。

薬を3錠くらい飲んでたような記憶が、、、、





でも、休職中はだんだん元気になっていたんだけれど。

この軽い気持ちで心療内科にかかったのが、

さらに最悪の事態を招きます。



ある日、「一度入院してみるのもいいですよ。」(疲れを取るために)と言われて、

あまりにも知識のなさすぎた私は、

入院して治るのなら(怪我と同じような感覚でいた)と思い、1週間の入院。





街中の病院だったので、

一人部屋で暇していたこともあり

朝は早く起きて新聞を買いに行ったり

おやつを買いに行ったりしていました。



首の調子も良いし、元気もあるし、何の問題もない。



朝の診察で先生が

「外に出ないで、ちゃんと寝て疲れを取ってください」

と言われ外出禁止みたいになった。



暇を持て余してました。

とにかく疲れをとるための入院だったようです。

疲れを取るために薬で眠らされていたのか???

いつの間にか日中は寝ていたみたい・・・です。



気がついたら、、、、、、、、

はい、記憶がなくなってしまったのです。

いわゆる記憶喪失です。







両親が迎えに来た時は、

私はおかしくなっていたそうです。(全く記憶のない私)

例えば、帰りの車内で走行中にもかかわらず

突然車から降りようとしたそうです。

以後どうなったのかは記憶なし。



慌てた両親は知人の紹介ですぐ別の心療内科に私を連れて行きました。

市内でも評判の良い病院とのことでそこへ行きました。





病名は忘れましたが、急性のうつ病みたいな感じだったようです。

病院の先生によって診断が違うのか???

心療内科とか精神科とかの先生ってどうなってるの?

と未だ私の中に疑問符がつきます。





今は余程のことがない限り、安易に心療内科とかかからないほうが

いいと思っています。

当時の私はあまりにも知識がなさすぎました。



この急性とかで診断されてから、大量の処方。

薬を1日30粒以上飲んでいました。





実家の2階の自分の部屋でずーーーーーっと寝てましたね。

気がついたら夕方とか。

あの時の薬はずっと眠らせる薬だったようです。



まあ、薬が効いたのか段々回復し

記憶が戻ってきました。





次に現れた症状が(今となっては薬も副作用だったのか)

ろれつが回らないわけです。

喋ってもレロレロって感じで。



例えば、「はひふへほ」が「はりフォれフォ」って感じでした。

元々がハキハキ喋るタイプなので

ろれつが回らないのには苛立ちを覚えました。

喋れないってのは辛いですね。





友達から携帯がかかってきても、

恥ずかしくて無視状態でした。



さらにさらに思考停止状態。

居間にいてもソファーでずっと横になってました。

朝起きていた時もソファーに横になりぼーーっと。

何も考えてません。

それからまた2階に行って寝るみたいな感じでした。





記憶が戻っているとはいえまだまだ完全とはいえない状態が過ぎました。

その時両親は、いつもどおり私に接してくれました。

元々明るい家族でしたので、特に私に気を使うこともなく。





今振り返ると、いい年した娘がどうしたものかと、

多分不安もあったと思います。

いつも変わらず接してくれている両親に感謝と同時に

申し訳ない気持ちでいっぱいでした。



なんで私こうなっちゃったんだろう。

死んじゃった方がいいかな?

と思ったものです。



死んだ方が楽になれるかな?

死んじゃうかって、、、

手首を何度も見てたことがありました。



こういう気持ちは初めてでした。

死ぬかって思うだけでなく、

まさに今死ぬかどうかを目の当たりに考えているわけですから。

こういう時って「怖い」って気持ちはないんですよ。



その時、ふと両親の顔が浮かんだのです。

ハッと我に返りました。

やっぱり両親の顔見ていたいよなと、心の声が聞こえたのです。

それがなかったら私は今この世にはいないでしょう。



どん底にいた私にわずかな光。

それが両親のいつもの明るい笑顔でした。

両親のおかげもあって

どんどん体調も回復してきました。





しかし、まだどこかおかしいわ!って親や友達も言ってました。

やっぱりろれつが回らない。

これは薬の影響でした。

薬の影響まーじ怖いです。





さらに両手の指先が勝手に震えるのです。

私は書道を習っていたこともあり、

周囲からは達筆だねと言われることが多かったのですが、



ご無沙汰している友人、先輩方に手紙を書こうと思いペンを握るのですが、

ガタガタ指が動きペンすら持てなかったのです。

おまけに力も入らない状態。

両親はそんな私を見て驚いていました。





それを見ていた父親が私に変わってペンを持ってくれて、

私の言ったことをハガキに書いてくれたこともありました。

私は、まだおかしいんだなと悲しくなったのを覚えています。





これじゃ、人前には出れないなと、益々引きこもります。

心療内科の先生にもこれらの症状を話し、

薬も変わったように思います。



でも、相変わらず朝も昼も夜も、寝る前も薬の量は多かったです。

大げさなにいうと薬だけでお腹いっぱいになるような感じでした。





6、副作用からの健忘症か?

寝る前のお薬は強かったのか

健忘症みたいな症状がありました。

今思うと、薬漬けは怖い。



ある朝、私の膝がぶす黒くなってました。

膝が痛いのなんの。

肘には絆創膏が貼ってありました。





なんだこれは????????





「おはよーー」と居間に行くと、

私:「お母さん、なんだか膝が痛いし、絆創膏はってあるんだけど」

母:「あんた昨日の夜のこと覚えてないの?」

父:「階段からがっつり夜中落ちて来たんだぞ」

母:「ゴロゴロ落ちて何事かと思ったわ」

母:「わからないってかい?」

私:「、、、、。」



全く記憶にないのです。

気がついた今、膝が痛いという現実。

薬って怖いですね。

使いようによっては、、、、毒にもなるのかって思いました。





先生が出す薬にはなんとなく違和感を覚え始めした。

友人、うつ病経験の知り合いから何度も

「薬に頼っちゃダメ。」

「飲まなくて治るから」と言われながらも、

その頃の私は大量の薬を服用していました。





薄々分かりつつも、薬に依存していました。

痙性斜頸で休職して、

その間にうつになりまして、1年が過ぎました。



うつ病で頭パッパラパーの私を恥ずかがることなく、

友人は週末にはデパートに買い物に連れて行ってくれましたね。

感謝

感謝



私の周りにいてくれる人みんなに感謝でいっぱいでした。

すっかり涙もろくなってしまいました。

心は感謝の気持ちでいっぱいすぎて。







7、自分との葛藤、職場復帰に向けて

家族、友人に助けられて、ようやく仕事復帰。

というか復帰訓練が始まりました。

実家から離れ自炊生活に戻りました。

ここから復帰訓練との戦いが始まります。



最初は午前中いっぱい仕事ですね。

なんとか起きることができて、7時半には職場到着。

元気です。

ただ、、、この元気がくせ者でして。

1週間に何回かは朝起きても

気分がなんとなく、行きたくない!!って感じの時があるのです。





自分との葛藤タイムです。





私:「すいません、今日は体調が良くないのでお休みします。」

と電話を職場に入れることもたまにありました。



こんな時思うのは、

「ああああ、ダメだな。みんなに迷惑かけちゃってる」

と自己否定につながります。





そんなことを繰り返しながらも

午前中頑張れる日が日に日に増していき

自信にも繋がっていきました。





8、叱ってくれる本当の仲間に囲まれて

日を重ねるごとに勤務時間も長くなってきました。

体は相変わらず疲れていて、時々弱音を吐きそうになりましたが。

管理職、同僚と本当に良くしてくれて

毎日感謝の気持ちで涙も出ました。



本当に思ってくれる人は叱ってくれます。



大分体が慣れてきたとはいえ、ごくたまに休む時がありました。

その時は、自分との葛藤で何度も携帯を持ったり置いたりしてました。



私:「すみません。今日は体調が悪いのでお休みさせて下さい」

とトーーンの低い声で話す私。(申し訳ない気持ちでいっぱい)

管理職:「分かった。」

私は「はい」

って感じで携帯を切ります。



分かった!って一言しか言わず多くは語りません。

でも、気持ちが伝わってくるんですよ。大丈夫かって?

普段は私が休むと、隣の席の1つ下同僚、そして管理職が

次の日は私の席に遊びに来て(心配してなんですけれど)

話かけにきてくれます。





同僚男:「なんで休むのさ」

    「ちゃんと来な」

私:  「ごめんね」

同僚男:「しっかりしなよ。」



きつい言葉に聞こえますが、気持ちは伝わっているので。

これは彼流の私への励ましなんです。



管理職もコーヒーを飲むついでに

私達の会話に入ってきて、

色々アドバイスをくれたり

本を紹介してくれたり

話を聞いてくれたりしました。



3人で話していると私の目はいつも涙でいっぱいでした。

管理職・同僚男:「なーに泣いてんのさ。」

私:「何も泣いてないよ。」

って話ながら、ハンカチでよく目を隠していました。



本当にありがとう。

ありがとう。



無事復帰訓練を終えることができました。

多くの仲間に支えられました。







9、新たな価値観を得て、今

今までの自分を振り返ると、

自分で自分を苦しめていた。

・間違った方向の「頑張り」という言葉。

・目標という名の高いハードルを自分に科す。

・できないと自己否定しまくり

・「ちゃんとやろう」という完璧主義などは、



まーじ、あかんですわ!

自分で自分を苦しめます!





考え方を変えただけで楽になりました。





薬についても私は薬漬けになってました。

そうなると一気に薬をやめると体にダメージがくるそうで

私は苦労しました。



なんでもかんでも薬を出しとけばいいや的な医師もいるんですよ。

これは知り合いの医師も話してました。



さらに引越しなんかもありずっと通院していた病院を変えました。

変えた先の先生が紹介状を見て一番に言ったことは、



「薬出しすぎ」ってことでした。



だから、一気に減らすことはできないので徐々に減らしていくことになりました。

完全に薬に依存してたなと反省です。





今回病気を通して学んだことは、

・自分の考え方を変える。

 とまでいかなくても少し行動をするだけで自分自身が楽になります。

・なんでもかんでも薬に頼るなってこと。





知識のなかった私は頼りまくって失敗しました。

10年間薬漬け。





ここまで自分の失敗談を赤裸々に書いてきました。

ここまで読んでいただきありがとうございます。



まだまだ書き足りないことがありますが、

そこはおいおいメルマガ等で話していけたらと思います。

こんな私でも変われました!

変わるか変わらないかどちらかです。

できるできないじゃないです。

私は「変わる」ことを選びました。



私は前を向いて歩いています。

疲れた時は「深呼吸」。「一休み」



明るさ取り戻し、

元気いっぱい今日も過ごしています。

私もまだまだ捨てたもんじゃない。笑



人生まだまだこれから!!

ここまで読んでいただきありがとうございました。